教育諸事情

以下、「下流社会」+「国家の品格」の受け売りみたいだが、というのも、最近良く考えていた問題だったのと、よく読ませて頂くblog*1にあった項目が気になったもので…。

学力でグループ化される上の部分の人たちは、放っておいてもある程度自分たちで進んでいくからそこまで手をかけなくても大丈夫かなと。
それよりも、ゆとり教育のおかげで、今まで国際比較で高い位置にとどめておいた中間層の教育水準を、「競争で疲れるのだから、みんなレベルを落とせば、競争も鈍化するでしょう。」と言うことでずるずる引き摺り下ろしているように見えてきたから。学校教育の本来の目的とは違うように思えてきたのだ。

今居るシンガポールではイギリスの教育制度を手本にしているのか、初等教育開始と同時にテストで振り分けられていき、次のステップが必然的に決められて行く。高等教育を受けるためには常に上位に位置する必要があるわけ。
でも、その制度上で生き残ってきたこの国の、また周辺諸国からきている自分と似たような教育レベルの人たちと渡り合う時に感じるのが、上に行こうとする意識や考える力が日本人のそれの比ではないと言うこと。
もちろん競争の激化など負の部分もあるが、この国が短期間で国際競争力をつけることができたのは、その教育のおかげなのかなとも思っている。

たまたま昨日、日本人向けの高校で担任を持っている先生と飲みに行った時に話したのが、最近の子供たち*2には勢いが感じられないとの事。何をしたら良いのか戸惑っているみたいだが、でも何らかの方向性を見出してやればとても変わるとも話していた。ま、その学校の生徒の家庭環境を考えると大部分は恵まれた子供たちだと先生自体も話してはいたが、でも子供たちへ何らかの手を打てば、まだ遅くないと言うことなのでは?

基礎学力を高める+競争意識を高める目的としての学力テストならば悪くないと思う。またきちんとそれがPDCAサイクルに取り込まれて、何らかの改善策につながって行くことが前提。
それに加えて現行のゆとり教育でも出てくる落ちこぼれと呼ばれる部分をプラスに拾い上げる(それは今の社会人の世界でも同じことだろう)制度がセットで必要なのかなと思っている。

その中では基礎学力を上げ、考える力を訓練しつつも、制度的ゆとりを組み込もうとしている、品川区の小中一貫教育の取り組みは面白そう。
cf. http://www2.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/sidouka/ikkan/kihon.html
果たして、学力テストが実施されたらどんな結果が出ることやら。

*1:http://sky.ap.teacup.com/debslink/443.html

*2:最初のゆとり教育を受けてきた子供たちのはず